成長産業なのにククルマはネタ枯れ

「自動車はコモディティ化(汎用日m化)され、自物家電の二の舞になる」これは、学識経験者やコンサルテイング会社の常套句だ。だが筆者の意見としては、コモディティ化などという綺麗事ではなく、端的にいえば「自動車はネタ枯れ」だ。ここ数年間、そうした雰囲気が自動車産業界で見受けられるようになっていた。そして2014年1月の北米国際自動車ショー(通称デトロイトシヨー)で「不夕枯れ」が顕著に現れた。毎年、同ショーはその年の世界の自動車産業を占うものとして注目を集めた。ところが2014年は、趣味性を強調するスポーツカーの発表が多く、近未来を示唆するようなコンセプトモデルはまつたくなく、さらにEVやプラグインハイブリツド車などの次世代技術車の新しい発表はゼロだつた。北米市場の販売台数は2013年、順調に伸びて、全体需要はリーマンショツク以前の1500万台レベルを回復した。

そうした時期だからこそ、未来に向けたロードマップが自動車産業界にとつても、消費者にとつても必要なのだ。だが、残念ながら「ネタ枯れ」だ。日系メーカー幹部は、「各社とも、欧米でこれからさらに厳しくなる燃費規制とC02規制への対応で手一杯。さらに、大衆車メーカーも高級車メーカーも多モデル化により価格帯を広くとるようになり、新しいセグメントが生まれる余地がない」と漏らす。振り返れば、1900年代前半、自動車は富裕層の贅沢品や公共機関として「特殊な存在」だった。その後、T型フオードの登場で自動車は大量生産時代へ移行。第二次大戦後、好景気に沸くアメリカで、自動車は大型でゴージャスでフアツシヨナブルな「ステイタスシンボル」になつた。この流れが、日本を含む全世界に飛び火し、「自動車大国アメリカヘの憧れ」を煽った。

だが、1970年代前半の排気ガス規制とオイルシヨツクにより、米ビツク3は小型車への事業転換に失敗し「アメ車低迷期」へ。それを契機に、低公害低燃費の日本車が世界各地に広がり始めた。80年代初頭からバブル期にかけて、メルセデス、BMWヽアウデイなど欧州高級車が多モデル化路線ヘシフトチエンジ。90年代から2000年代に入ると、ハイブリッド車、電気自動車、そして燃料電池車など、次世代燃料車の量産計画が進んだ。同時期、先進国ではレクサスヽインフイニテイ、アキユラ、AMG、M、Rラインなど「高級ブランド化」が活発化。さらに、BRICsの台頭で、各地域に見合つた低価格車の現地生産が加速した。

こうした自動車産業史のなかで、快適、高性能、優越感、安全性、コストパフオーマンスなどを念頭に、自動車メーカー間の開発競争が繰り返されてきたoそして2010年代に入り、自動車メーカーが意識し始めたのが「オーバークオリテイ」だ。自動車の基本運動性能である走る。曲がる。止まる、そして乗り心地の判断材料であるN VH (ノイズ・バイブレーシヨン・ハーシユネス¨路面からの突き上げ)への対応は、消費者が十分満足するレベルに達した。最高速度という高性能のバロメーターでも、アウトバーンでの実質的な巡航走行が可能な時速300.320キロで頭打ちとなつた。

車内デザインでも、低価格車から高級車まで、様々なバリエーシヨンを設け、さらにはシートやドアトリム(ドアの内張り)などの素材の種類や色を購入者が自由に選べる「カスタマィズ」が当たり前になった。そして、ボデイデザインでも、風洞実験でのデータ解析が高度化し、また衝突に対する規制の標準化も進んだため、スポーツカーから小型車まで、突飛な形状をした自動車はなくなつた。こうして各メーカーの自動車という商品の個性が薄れていつたo自動車は「ネタ枯れ」してきたのだ。また、ハイブリツド車、電気自動車、燃料電池車など「エコカー」と称されることが多い次世代車に対しても、商品広報の観点では「そろそろネタ枯れ期」に入つている。そうした状況で、自動車メーカーにとつてはマスコミからのウケがよく、話題になりやすく、さらに中長期的な技術進化が見込める「ネタ」が必要だつた。

そこに自動運転がうまくハマつたのだ。ところが、自動運転の本質は、自動車メーカーによる古めかしい商品開発思想とは相容れない。自動運転は自動車という商品イメージの延命策ではなく、次世代社会における移動体のあり方を問うものだ。自動車産業は自動運転というステージを境に、まつたく別の業態ヘと変わろうとしている。その認識を自動車産業界に従事する人たちのほとんどが、持ち合わせていない。ここが自動車産業界の弱さだ。そして、その新たなステージにIT系や通信インフラ企業が、スマートフオンやクラウドを使って一気に攻め込んできているのだ。このような自動車産業界の実態を知ると、自動車産業は今後、急速に衰退していくと思われるだろう。ところが、前述のように自動車産業は世界人口の増加にともない、当面は成長が続く。製品としては「ネタ枯れ」しているのに、まだまだ売れる余地があるというミスマッチがある。だが、こうした「ネタ枯れ」と市場の規模減少が同調する国がある。それが、日本だ。